2006年08月02日
「死」「失うこと」を怖がらない
昨日届いた訃報。同世代の女性であり、尊敬する編集者であり、お母さんでもある、彼女。だけど、それほど親しかったわけではない。
今日、いったん帰宅して、喪服にエプロンをつけて夕方の厨房に戻ったら、マスターが「お通夜に行くの? あなたの口から聞いたことのない人だよね」と言う。
うん。彼女は10年以上前、編集部の末席にいた私のことを、忘れていたかもしれないけど、私はよく知っているもの。今の私は、彼女のことがとても気になる、呼ばれている気がする、だからとにかく行かなくっちゃ。その気持ちに従ってよかった!
亡くなった人は、その途端に、生前の病や痛みや苦しみから解放されて、人に何かを与えるだけの存在になるのだと思う。死に向かう日々の中でも、いかに死後のような「仏」の心をもてるかが、人にとって最大の課題なのかもしれない。
今日、彼女の闘病、病気になってからの心の持ちよう、この10年の仕事ぶり、そのほんの一端を知ることができ、彼女なりの「仏」への道を見せてもらった気がした。
実は、白いカーネーションを献花する、無宗教のお通夜だった。そこで私の心に響いたものが、なぜ「仏」という形を結んだのかと言うと・・・
お通夜の会場への往復の電車の中で読了した「蓮如物語」のおかげだ。
一昨日、マスター(夫)がたまたま古本屋で買ってきて、リビングに置いてあったのを、こんな日にふさわしい本だなあと、迷わず黒いバッグに入れて出かけた。少年少女向けとなっているので、さらさらと読める。
蓮如は、飢えや貧困、争いが絶えなかった500年ほど前に、親鸞の教えを、易しい言葉で、広く民衆に伝えた僧侶。苦しみ、悩み、欲、そんなものを越えて、弱い自分、意地悪な自分をも肯定することのできる思想(私なりの解釈)なのだと思う。
死ぬこと、何かを失うことを怖いと思ってはいけない。いけないと思ってもやっぱり怖い、そんな自分もダメとは思わず、でも、怖くはないんだよという思想を、ちゃんと心の中に温めておきたい、と思う。
お通夜に呼んでくれたSさん、たった49歳で向こう岸に行ってしまったSさん、本当にありがとう。
疎遠になっていたけど大切な人たちにも、引き合わせてくれた。本当に「仏」になったんだね。

